2017年04月30日

安野光雅著「わたしの好きな 子どものうた」(講談社)

安野さんの好きな童謡が40描かれています。
だいたい知っている童謡ですが、戦前からの歌が多いので、よくわからない歌もあります。なかでも「十五夜お月さん」という野口雨情作詞の歌などは、短くてとても淋しい歌です。

安野さんは教科書のさし絵なども描かれていたので、もしかしたら小学校の教科書のさし絵で安野さんの絵を見ていたかもしれないな。



いつもどおり素敵な本です。表紙のカバーをはずしてみて「うふふ」です。
ラベル:
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2014年10月30日

小川洋子著「人質の朗読会」(中公文庫)

かわいらしい装丁は単行本とたぶん同じだと想います。

9つのお話なのですが、短編集と言ってよいものかどうか。読むほうとしたら、短編集と同じなのですが。
ひとつひとつの物語の主人公は(9つ目を除いて)外国で拉致された「人質」たち。命の危険にさらされている人たちです。
その人たちが今までの人生を振り返って1番の出来事を朗読しているのです。

1番の思い出というか、なぜか心に残っていることとか、自分の転機になったこととか、ドラマチックなお話でもないけど大切な出来事。いままで他人に話したりしていないようなこと。年齢と最後の肩書きとを見ると、がんばったんだなあとかなるほどなあとか、そこから今までの人生を想像してしまいます。

最後に語りたいお話。誰でもひとつはあるのでしょう。
ひとつでは足りない?
でも1番はひとつだけ。


ラベル:読書
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2014年10月27日

今日から読書週間ということで

北壮夫著「巴里茫々」(新潮文庫)

北壮夫氏が亡くなられてもう3年。でもこのところ新しい本が出版されています。この本は3年前に出版されたものの文庫版です。装丁も単行本と同じ安野光雅氏の装画が嬉しい。なぜか本文の文字が気持ち大きめ。

二編の短編。「巴里茫々」はエッセイのような小説です。パリと言えば辻邦夫夫妻。パリを想うことは親友を想うこと。ただ、もうその親友はいない。

この小説がいつどうして書かれたのかはわからない。初出は書いてないので、雑誌にも載らなかったものなのでしょうか。
もしかしたら、途中なのかもしれない。

もうひとつの「カラコルムふたたび」は文字通り小説「白きたおやかな峰」のカラコルム登山の26年後、(テレビのロケで)ふたたび訪れた時のこと。登山隊のコックをしていた男性との再会を目指す旅のこと。

テレビ番組のための旅なので、旅行記のような感じです。こちらの方が「巴里茫々」よりは先に書かれたものでしょう。

どちらも「老い」を感じるお話です。

単行本が出てからもう3年もたったのか。この本は亡くなってから出版されたのだっけ。月日のたつのは早いものです。

ラベル:読書
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2014年08月03日

村上春樹著「小澤征爾さんと、音楽について話をする」 (新潮文庫)

それと
CD「『小澤征爾さんと、音楽について話をする』で聴いたクラシック」

41頁までのブラームスの「ピアノ協奏曲第一番」を読んで、そうえばこの本、CD出てた気がすると思ったら、やっぱりありました。その先を読んでもいいのだけど。どうしても聴きたいと思って、アマゾンのギフト券をかき集めるのに時間がかかってしまいました。

なぜ聴きたくなったかといえば、レナード・バーンスタインが聴衆におことわりを入れてる演奏なのです(そのスピーチもCDに入っています)。
ピアノはグレン・グールド。非常にテンポの遅い演奏なのだそうです。そんな珍しい演奏、聴きたい。

この曲については、たぶん聴いたことのない曲なので、デンポがどうのっていうのはよくわからなかった。
ただ、バーンスタインの「演奏」ではないのに、指揮をしますという、なんか妙なことになってしまった「演奏」のようです。
それから、その時のアシスタント指揮者が小澤征爾さんだったという。

それにしても、村上さんはクラシックのレコードもいろいろ持っています。すごいなあ。

指揮者は聴衆とは聴いているところが違う(特に録音されたもの)。それは指揮者だからなのだけど、沢山聴いているからなのでしょう(当たり前だけど)。沢山聴いている人は同じ聴き方ができるんじゃないかと思う。村上さんも同じ聴き方ができるということは、沢山聴いているんだな。いろんなものを。

 
  

CD.jpgCDのパッケージも面白い。レコードみたいな柄のCDはよくありますが、ジャケットはレコードみたいに紙製で、CDは中袋に入っている。

読んで聴いてで、CDプレーヤーがいまいちで、なかなか読み進めてません。まだDisk1の部分。でも、楽しい本とCDです。
ラベル:CD 読書 音楽
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2013年07月07日

アンデルセン・作 森鴎外・訳 安野光雅著「口語訳即興詩人」

アンデルセン原作の「即興詩人」を森鴎外が文語体で訳し、画家の安野光雅さんが口語体で訳した本です。

「即興詩人」は安野さんがエッセイなどで薦めるので、森鴎外訳の「即興詩人」の文庫を上下で買って読んだけど途中で挫折しました。途中まで読んだはずなのに、全然覚えがなかった。中学か高校の頃に読んだのだと思いますが、ちょっとだけ読んで挫折したのかも。
文語体で書かれた長編小説を読むのは難しかった。教科書に載っていた「舞姫」を読むくらいが限界。

アンデルセンはデンマーク人なのに、「即興詩人」の舞台はイタリアです。そのイタリアの風景描写は目に見えるようです。主人公はあちらこちらを旅するので、イタリアの観光案内にもなりそうです。

主人公の幼少時代から大人になるまでの青春記。
ですが半分くらいまでは「神童」のような主人公の成長話という感じです。ここまでが読むのにきつかったのかも。
半分まで読むと主人公の冒険がはじまる。

ところが救いの手は早くて、またローマへ戻ることになる。
即興詩人にはならないのかなあと、少しがっかり。
数年後、もう一度ひとりで旅に出て、最後のほうに今までの旅の出来事の誤解や疑問がわかります。

難しい小説ではありません。鴎外はどうして文語体で訳したのかなあ。口語体で書いた小説もあるのに。

森鴎外訳のこの小説を読了できなかった人は必読です。

ラベル:読書
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2012年07月29日

村上春樹著「1Q84」(新潮文庫)

4月からちびちびと読んでいました。7月半ばでやっと1Q84の世界から抜け出せたけれど、もう少し居たかったなあ。
PA0_0003.JPG
物語は1984年という時代にこだわってはいません。あの年は何があったかなあと考えてしまうけど。時代の物語ではなくて、1Q84の物語なので、考えなくていいのだけど。確かなのはまだアナログな時代だったなあ。携帯電話なんてなかったし。天吾くんの買ったワープロは大きなのだったろうなあ、まだ高かっただろうなあ、とか思ったりして。

やっぱり「謎」が「謎」のまま。1Q84の世界を抜け出してしまったから、もう「謎」は解かれない。1月から1Q84の世界が始まっていたら、BOOK4まで物語があったのでしょうか。
「謎」だと感じる所は、読者の想像(推理)が正しいのでしょう。「謎」のようでも、ただ思わせぶりなものは、深い意味はないのかもしれません。たぶん。

そうそう、Qは疑問符だから。

この1Q84という世界は誰が作ったのだろう。青豆さん?天吾くん?ふかえり?さきがけのリーダー?って考えてみました。みんな違う、作者と読者です。たぶん。
だから謎は謎のままで、勝手に想像していいのです。

全然小説の感想を書いてませんけど、1Q84(の世界)は魅力的だった。これが感想。

単行本は3冊でしたが、文庫は6冊。持ちやすくていいけれど、ちょっと前を見たくなる所があるので、そんな時は不便。
今年の「新潮文庫の100冊」に入っているから、7月から買った人はこれだけで3口応募できる。いいなあ。
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2011年11月19日

安野光雅/著「繪本仮名手本忠臣蔵」(朝日新聞出版)

表紙そろそろ「忠臣蔵」の季節です。
というわけで、読んでみたら、すぐに読めてしまいました。絵の方が多いですから。

人形浄瑠璃も観たことがないし、歌舞伎も観たことがないのですが、忠臣蔵のお話はよく知っていますからわかりやすい。「仮名手本忠臣蔵」はドラマなどで見る「忠臣蔵」とは全然違うものですが。
とても人情的です。忠義というよりも、親子や家族の情や絆の物語です。
「忠臣蔵」につきものの「討入り」は文楽ではないそうです。人数の多いのは様式美がくずれるのでしょう。

安野さんが舞台を観た時のことなども書いてあって、舞台を観た気になれます。
部分的にテレビの舞台中継で観たことがあって、この場面だったんだと思い出せました。

現在工事中の、かつての歌舞伎座も描かれています。
歌舞伎を知らなくても知っていても楽しめる絵本です。
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2011年04月02日

角田光代著「八日目の蝉」(中公文庫)

テレビドラマは時々見ていたのですが、文庫になったので小説も読んでみようと思いました。ドラマの檀れいさんのイメージがどうしても重なります。だけど違和感はほとんどありません。「薫」と呼ぶ声がドラマのままの声で聞こえます。もう、1年も前のドラマなのに。時々しか見てなかったのに。

八日目の蝉表紙自分の子供ではないのに、恨んでもいいくらいなのに、なぜ子供を育てて愛したのだろう。人生棒に振ってまで。
母性愛とひとことは言えない、愛。

2章は大学生になった(「薫」ではなく)「恵理菜」の話になります。1章は希和子が語っていますが、2章では事件のことは客観的に語られます。
どうして恵理菜は4歳まで愛してくれた「ママ」の事を覚えていないのだろう。そんなに幸せでなさそうな家庭の中で、「ママ」の事忘れちゃうかなあ。いくら子供でパニックになってしまっていたとしても。

けど、恵理菜はなぜか自分をさらった希和子のように身ごもる。
恵理菜は自分の家族を作りたいのでしょう。事件のせいで(もしかしたら事件と関係なく)普通の家族とは違うような家族の中で育ったから。
自分の赤ちゃんを育てる、愛する、というのは普通の事だけど、恵理菜にとっては特別なこと。だって希和子という他人に育てられて愛されたのだもの。

八日目の蝉は不幸ではないでしょう、きっと。


(タイトルの「蝉(せみ)」の表記は「蟬(せみ)」ですが表示できない場合があるので「蝉」としています)
ラベル:日記 読書
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2011年01月15日

眉村卓著「僕と妻の1778話」(集英社文庫)

この本を読んだのは映画化されるからではなく、眉村卓氏が病気の奥様に毎日お話を書いていたという事を以前新聞か何かで読んだからです。それが文庫になったのだと思ったので。
このタイトルは映画に合わせたのでしょう。「僕」というのは変です。
表紙
眉村卓氏といえばSF。ドラマや映画になったものは観ましたが、本のほうはどうだったかなあ。

52編の短いお話が収録されています。ただ、このお話よりも、あとに書かれているちょこっとした文章が主なのです。当時の思い出などが書いてある。毎日3枚以上書くことに決めた「お話」の方は、いまいちなものもあります。

けれど後半のお話のほうが良いなと思えるのはなぜでしょう。気持ちが追い詰められてきたからなのでしょうか。あと何話書けるかと。

一日一話書けなかったら後悔することが起こるかも知れないと、そんなこと考えてないと言われそうですが、そういう約束をしたことで、1778話分生きられたのではないでしょうか。最後の数話は奥様は読めなかったけど。

最初は発表するとは頭になかったようですが、1000話までは私家版のようですが「日課・一日3枚以上」(全10巻)という本になったのを奥様が喜ばれたというのは、作家の妻だからなのでしょう。

1778話イコール1778日。長かったですか? 短かったですよね。


ちっちゃいかわいいイラストも眉村卓氏。
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2011年01月05日

「作家の手紙」(角川文庫)

装丁がいいなと思ったのでついつい手に取って、ついつい買ってしまいました。

オビに「言いにくいこと微妙なこと、文章のプロはこう書く!」とあったので、ホンモノの手紙(?)なのだろうと思ったら、違いました。ホンモノの手紙もあるようですが、こういう手紙と想定して書かれたものの方が多そうです。
作家の全集の最終巻あたりにある書簡や日記やメモみたいなものを読むのが好きなので、ホンモノの手紙の方が良かったのですけど。

でも、こういうアンソロジーも小説とまた違って面白い。今度はこの作家の本を読んでみようかなと思ったりして。
オビを見たら文章読本みたいに思えますけど、全く違います。出版社は文章読本みたいな本にしたかったのかなあ。だったらホンモノの手紙だけにしないとねえ。

けど、ホンモノの手紙はちょっと生々しかったりする。

最近手紙は書いてませんが、メールよりも手紙の方が相手にとっては重たいかも。この中の手紙も特に「手紙」でないといけないような手紙じゃなさそうなものもあります。メールだっていいようなものもあります。けど、宛名を書いた封筒に入れて(普通は)切手を貼って郵便ポストに投函する。それだけでメールよりずっと重くなる。
文章だけ読むから、メールでもいいんじゃないって思えるのかもしれません。封筒の写真とか手紙の実物の写真とかが入っていたら、ちょっと重くなったかもね。
ラベル:読書
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2010年12月30日

小林照幸著「ボクたちに殺されるいのち」(河出書房新社)

この本は「14歳の世渡り術シリーズ」です。「中学生以上大人まで」とオビにあったので、大人だけど読みました。ルビがふってあって、簡単な注釈もあって、わかりやすく書いてありました。脳ミソ中学生程度なので、こういう本はよいと思います。

この「いのち」は動物たちのいのち。まずは身近なペットたち。
ペットが死んでしまうのは悲しいです。老衰のように死ぬのならまだしも、病気になったり、事故にあったりしたら、とても責任を感じます。
死んでしまったペットには、何年たっても、ごめんねごめんねって謝っています。なので現在はペット飼っていません。

「殺されるいのち」捨てられたペットたちは野生で生きていくことはできません。餌が獲れないから。ペットを飼えない状況になった時はどうしたらいいのでしょうか。飼ってくれる人を探す? なかなか難しいでしょう。だからペットを引き取ってもらえる所に持っていきます。で、そのペットたちはそのあとどうなるのか。

ペットを最期まで飼えなければ、たやすく飼ってはいけない。ペットは生き物だから。人間と同じように心があるから。
ペットショップなどでもちょっと大きくなってしまったワンコちゃんなんかは、「ご主人になってよ」って表情をしてますよね。寄っていくととっても嬉しそうにしますよね、きっと期待して。

動物たちにも心がある。

けど、ペットたちとは話しができない。「幸せ?」って聞けない。飼っているとき「幸せ?」って聞いてみたかった。「幸せ」でなかったら、どうにかして幸せにしてあげたいと思いますよね。ペットは家族のようだから。

ペットではない動物たち。家畜といって人間が食べるために飼育する動物たち。ペットのいのちと家畜のいのちと、重さに違いがあるのかな。違いはないと思うけど、家畜の肉だったら食べる。牛や豚だって生きたいと思っているのかもしれないけど、人間はそのいのちを食べる、人間が生きるために。だからせめて、しっかりと食べてあげないといけないんだよね。

人間だって動物。だから身勝手に動物を殺すのは、そういう事態にしてしまうのは、いけないと思うでしょう。どうしたらそういう事態を避けられるのだろう。

14歳の中学生の人たちに、まずは身近なペットたちのことを考えて欲しいと、著者は提案しています。

いのちに順位なんてないのに、人間たちは間違いを繰り返してる。
野生動物に対しては、「ごめんね」では済まないでしょう。
ラベル:読書
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2010年12月27日

「江戸川乱歩傑作選」(新潮文庫)

電車で読むのにはなんだかと思って、なかなか読み終えられませんでした。明智小五郎の出てくる短編もあります。
江戸川乱歩といえば小学校の図書館にたくさんあった気がします。読んだことはなかったのですが、きっと男子が読むのでしょう。

この本の中の最後「芋虫」は気味悪いです。けど、これは映画になった「キャタピラー」です。映画は観ていないのですが、寺島しのぶさんがベルリン国際映画祭最優秀女優賞をとった時に部分的に紹介された映像を観たのでそう思いました。
時代も設定も名前も違うのだけど、この四肢を失くした男や気味悪い感じは同じ。「キャタピラー」というのは「芋虫」という意味らしいですし。映画の紹介のほうに江戸川乱歩の「え」の字もないのは少し不思議(ウィキペディアにはありました)。
「芋虫」は反戦のお話ではありません。小説の方が気持ち悪いかも。

第二次世界大戦以前の上流階級の人たちが出てくるお話が多いので、現実離れしているような感じがします。ちょっと幼稚だったりもします。
今の小学生も江戸川乱歩、読むのかな。
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2010年08月27日

リリー・フランキー著「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」(新潮文庫)

2005年のベストセラーというか、ロングセラー。単行本はぶ厚くて、すてきな装丁でした。

内容は「自分史的」です。小説ではないです。映画やドラマにもなりましたが、本のほうはたぶんほとんどフィクションではないでしょう。ボクから見たボクとオカンとオトンの話です。

オカンとボクとオトンは不思議な家族とも見えるし、普通の親子とも見えます。オトンが家にいなくても、どんな仕事をしてるのかわからなくても、ボクにとっては父親だし、オカンにとっては好きな人なのです。夫婦は他人だし、親子はいつまでも親子ですけど。家族なのに知らないこと、わからないことがあるのも当たり前です。
あまりベタベタした親子関係ではないけど、ボクはちょっとマザコン。けどこれだって当たり前です。息子ってきっとちょっとマザコンだと思います。そして親はきっとちょっと親バカですよね。

オカンが上京して来るのは本の半分を過ぎてから。ここからはオカンの魅力全開で面白いです。訪ねて来る人誰にでも食事を作るオカン。「息子がいつもお世話になって」というおもてなしなのでしょう。何かしないといられない母親。
つらいことになりますが、医者の言葉や心無い言葉にチクッとイラッとするところは、愛してる人だからでしょう。
ボクにも、ボクのともだちにも、オトンにも、きょうだいたちにも愛されたオカン。

亡くなって5年たって本にしたのは、作者が何か区切りをつけたかったのでしょうか。10年たっても、まだまだオカンの存在は消えない。もっと大事にするのだったと。きっとみんなが思うことなのだろうなあ。
親子って、難しいです。

後で気がつきました。装丁は著者ご本人でした。
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2010年07月18日

村上春樹著「走ることについて語るときに僕の語ること」(文春文庫)

エッセイみたいですが、エッセイなのだと思いますが、普通のエッセイとはちょっと感じが違います。
タイトルでもわかるように、走ることについて語っています。
マラソンを走っているのは知っていましたが、ただマラソン走るのが好きなのだろうと思ってました。
走ることが好きなことは好きなのでしょうけど、「走ること」は小説家でいるために始めたこと。小説を書くことを続けるためには体力が必要だからということで。
とても健康的。

小説家といったら、不健康な生活をしているイメージ。夜中に書くとかいうイメージ。
けどこの人は小説家になる前はクラブをを経営していたので、そちらの方があまり健康的と言えない生活。それが小説家(専業)になってから(サラリーマンではないけど)普通の、昼間に仕事するという生活になったという。
小説家は夜型であるべき、なんてことはないのですから、まっとうな考え方。

この健康的でフツーな生活が、村上作品の「基」なのでしょうか。

走ることと小説を書くことは、表裏一体となっているみたいです。たぶんどちらかがなくなるということはないのでしょう。
「走ること」について書いてあるのだけど、「書くこと」について書いてあるような感じもあります。そういうつもりで書いてないと思うのだけど。
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2010年07月13日

北村薫著「紙魚家崩壊 九つの謎」(講談社文庫)

九つの短編が入っているのだけど、それぞれは独立したお話でシリーズものではありません。

「九つの謎」とあるけどそれぞれのお話は長さもテイストもまちまちです。
どのお話もサスペンスものですが、長編の「スキップ」「ターン」「リセット」などと同じように不思議なお話が多いです。

この九編の中で長いお話、最後の「新釈おとぎばなし」では、元国語の先生らしいところも感じられます。
昔話は本当はとっても残酷なお話だったりしますが、「カチカチ山」も北村薫の手にかかったら、テレビの2時間サスペンスのようです。けれど、とても納得です。

それにしても、「カチカチ山」のタヌキはお婆さんを婆汁にするなんて恐ろしい事をしたのでしたっけ。子供の頃の絵本では殴ったりしただけだったような記憶があります。
太宰治の「お伽草子」では婆汁になってたようですが、太宰が作ったのかと思った。
その位悪いタヌキなら復讐されてもしょうがないか。だだの悪さだけで、タヌキを殺したりしてはしないのでしょう。昔から。

出版社は違いますがイラストは新潮文庫の「語り女たち」と同じ人です。
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2010年06月13日

湊かなえ著「告白」(双葉文庫)

文庫になったら読もうと思っていました。
本屋大賞の受賞作だからではなく、映画化されるからでもなくて、装丁がよかったからなのですけど。文庫になっても単行本の時と装丁が変わっていなくてよかった。「少女」と「贖罪」もそうであってほしいなあ。

映画が公開されるまでには読み終えようと思っていたのに、遅くなってしまいました。
読み始めれば一章ずつすらすらと読めます。モノローグというか、ひとり語りというか、日記というか、手紙というかなので。

中学校で起こったこと。中学1年から2年の夏休みの終わりまで。
意外と中学生は難しいことを考えているものです。その頃の日記なんか読んだりすると、そう思います。難しそうな本を読みたくなったりするのです。
それをしなくなると、大人も子供じみてくるのでしょうか。

この女教師はたぶん「不適格教師」です。娘が殺されたとはいえ。
生徒を怖がらせてどうする、です。犯人だとはいえ。読んでいるほうはあまり怖くはないのですけど。
彼女の最後の本当の復讐は嘘であって欲しいと思います。

現実では学校でこういう事件や事故があったりすると、「生徒の心のケア」とか言ったりしますけど、昔はそんな事してませんでしたよね。昔の子供だって心が傷ついたりしてたはずなのに。
教師の生徒いじめもありました。いじめは子供同士だけではないのです。今思えば陰湿で大人気ない。
そんな「生徒いじめ」をちょっと思い出させる「復讐劇」。
よく考えるとこの小説は「教育上問題作」なんじゃないのかな。
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2010年05月25日

浅田次郎著「月のしずく」(文春文庫)

浅田次郎氏の短編は電車の中で読むのに丁度いいです。長すぎず短すぎず。
一時翻訳ものの超短編にこっていたのですけど、そちらは途中で積読状態になってしまっています。

この短編集の中の「銀色の雨」が2009年に映画化されたようです。知りませんでしたけど。
「鉄道員(ぽっぽや)」もそうですが、短編なのによく2時間近い映画になるなあと思います。
短い中にも人物がしっかりと描かれていて、沢山のドラマを感じられるからなのでしょう。
この「月のしずく」の中の小説も、みなそうです。
短編小説なのですが、中身が薄くないのです。

実はもう少し新しい違う短編集と間違えたのです。タイトルの「月」しか覚えていなくて(この前に読んだのも「月下の恋人」だったので、作者は「月」がお好きなのでしょうか)。
出版年を見ればよかったのに、何冊かあったので新しい本だと思ってしまいました。オビも新しかったし。
だからといって、中身が古びていたりはしません。もともと懐かしい感じのする小説が多いですし。
間違えなかったら読まなかったかもしれないので、間違えてよかった。
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2010年05月07日

万城目学著「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」(ちくまプリマー新書)

新刊で出た時に、とってもかわいらしいタイトルと装丁に惹かれたのですが、万城目学って(読んだことないけど)こういうかわいらしそうなお話を書く人だっけ? と、ちょっとためらって買えませんでした。けど、ラジオでどなたかが紹介されていたので、新書だしあまり長くないしと読んでみました(買いました)。

かのこちゃんは小学一年生の人間の子供で、マドレーヌ夫人はかのこちゃんちの猫で、元ノラ猫。
で、マドレーヌ夫人の夫はかのこちゃんちの飼い犬の玄三郎。
猫と犬の夫婦というのは、ありなのか。マドレーヌは玄三郎と一緒に暮らしてはいるのだけど。
それから猫と犬の間では言葉が通じないそうで、でも、マドレーヌは玄三郎と話ができる。玄三郎とだけ。だから、猫であっても犬と夫婦なのです。

猫でも犬でも人間の言葉はなんとなく理解できるのだそうです。時には文字だってわかったりするようです。人間の近くにいるのだから、そういうこと位はできるかもしれない。
けど、猫は普通は犬の言葉はわからない、らしい。だからマドレーヌ夫人は特別な猫なのです。

マドレーヌ夫人はもっと不思議なこともやってしまいます。はじめは偶然の出来事のようだったのだけど、やっぱり彼女は普通の猫ではないのかもしれない。
けど、こういう事は本当はしょっちゅうあって、人間が気が付かないだけかもしれない。

マドレーヌの冒険物語としてシリーズ化はしないのかなあ。
もうちょっと先が読みたくなるお話です。
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2010年01月11日

島内景二著「中島敦『山月記伝説』の真実」(文春新書)

昨年は太宰治や松本清張の生誕百年で、映画やドラマが賑やかでしたが、「山月記」の中島敦も生誕百年でした。映画にもドラマにもならなかったけれど。

中島敦は33歳で昭和17年12月4日に亡くなっている。そして小説家として創作にかけた時間は2年ほど。だから、作品も少ないのだけど、「山月記」は高校の教科書になくてはならない小説のようです。

これはそれが何故かを書いた本です。
その何故かは「山月記」の中にある。もちろん教科書的解釈ではわからないですが。

著者の言うように「虎になった詩人」が敦で、「えらくなった親友」は敦の友人たちだと、残された人たちは感じたかも知れない。
けど、それは敦が意図した事ではないでしょう。生きてもっと沢山小説を書きたいと思っていたのだろうから。もっと良い小説を書こうと思っていたと思うから。
そう命が長くないのも知っていたと思うけれど。

けど誰もが心の中に「虎」を飼っている。それはあるかもと思う。中島敦の「虎」は大きくなりすぎて、自身の命まで食べたのかもしれない。

敦の性格や生活は、作品や教科書に載っている分厚い眼鏡をかけた風貌から受ける印象とは随分違う。えーっと驚く位違う。この本にも書かれてはいるけれど、資料とされた本の方に詳しい。

中島敦は戦後を知らない。だから、古臭い感じがするのかもしれないけど、太宰治と同年齢。太宰は中島敦を読んだのだろうか。
読んでいたら、負けたと思ったろうな。

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2009年11月29日

浅田次郎著「月下の恋人」(光文社文庫)

久しぶりに読みましたが、やっぱり浅田次郎の短編はいいなあ。
作者ご自身で「古臭い小説」と書いておられるけど、全然そうは思えません。
やっぱり日本語で書かれた小説はいいなと思いました。

11の短編小説。女子高生や大学生が主人公だったり、珍しいかなというものがあったりします。
けれど、ドラマや映画で浅田次郎原作ものを観たり聴いたりしているから、読んだ気になっていたようで、書棚には「鉄道員」しか見当たらないので、実際はほとんど読んでなかったみたいです。そうだったかなあ。
新聞に連載していた「椿山課長の七日間」は読んでいたけど。

なので、女子高生や大学生が主人公の作品も珍しくないのかも知れないけど、面白く読めました。えっここで終わっちゃうのって感じのものもあったりして。

電車で読むのにはぴったりの短編集。



月下の恋人

まだ読み終えてない翻訳物の超短編の本が2冊もあるのだけど、また日本語で書かれた本が読みたくなってしまいました。
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